This Category : 私の大切な出会い

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別れの言葉

人の死というのは、心に与える衝撃があまりにも大きくて、そうそう簡単に文章にできるものではないなぁ…と思います。

父が亡くなった時も、ご報告がてら多少の思い出を綴ったのですが、深い気持ちを書き込むには至りませんでした。

これが、まったくの匿名で どこのだれが書いているかわからないブログなら、まだ心の中をただ吐露する形で書けたのかもしれませんが、とりあえず文章という形をとって、番組をご覧いただいている皆さんにもご報告…ということになると、なかなか文字を打ち込んだりも難しかったです。


10月の終わりに 以前こちらにもエピソードを紹介したことがある 中学時代の友達「Sくん」のお父様が亡くなりました。

男友達のお父さん…
なんて、そんなに親しくなることもないのですが、Sくんのお嬢さんのNちゃんと うちのちびがとても仲良しだったので、よく私が2人を連れて遊びに行ったり、またSくんのお父さんが Nちゃんとうちのちびを連れて行ってくださったり、時には私も加わり4人でサッカー観戦に行ったりしたこともありました。

ちびはとてもなついていて、お孫さんのNちゃんが不在なのに、家にあがりこんで、遊んでいただいていたこともあったほど…。


とてもユニークな方で、Nちゃんの参観日にいらして
「先生、給食は参観できますか?一緒に食べてもいいですか?」
と、急きょ特別席を作ってもらい クラスの生徒たちと一緒に給食を食べたこともありました。

また一緒に出かけたときには、うちのちびに
「今日 私にはおかしなところがあります。どこでしょうか?」
と問題を出したのですが、正解は
「靴下が左右で全く違う!でした~~」
と、短パンから色が違う靴下をはいた足を指差して笑っていたのを覚えています。

私が犬を飼い始めて、最初に道で会った時も
「こんにちは~!」のあいさつの後、早速
「いくらだった??」
え?いきなり その質問??
ゲラゲラ笑ってしまいました!
「高かったですよ~~~!」と答えると
「いくら?」
「ダンナの給料1カ月分くらいです!」
「え?いくら?相当高かったね?」
常識の枠にとらわれない言動で、でも絶対に憎めない すごく楽しい方でした…


最後に会ったのは、1ヶ月くらい前、犬の散歩がてら実家に向かう時。
お体の具合が悪いことは ずいぶん前から聞いていましたが、一人で元気そうに歩いていらっしゃる姿を見て ほっとしたのを覚えています。
でも、あの時が最後になっちゃったんですね…


11月に入ってから「お別れ会」がありました。
受付を済ませると、まずリーフレットが配られました。
お父さんご自身が書かれた 今日の会の趣旨や 病気の経緯 そして 自分の骨は粉骨の上 信州に散骨する…ということ。
すごく心に響く内容で、何度も何度も読み返しました。

そういえば、私の父もよく
「魂が亡くなった体には意味がないから、骨など大切に大切に取っておく必要もない。骨を拾うから 後の処理に困る…。いってみりゃ、骨なんか拾わなくたっていい…」
と言っていました。
現世では、まったく関わりもなかったのですが、天国で仲良くなれそうだな~
たくさん共通点もあるし…


今はきっと 千の風になっていらっしゃるのかな…と思います。

ご冥福をお祈りします…
などという月並みな言葉でしめるのも らしい送り方ではない気がします。

「お父さん、病院代はいくらだったんですか?」
くらいの パンチのきいた質問で 笑顔で「さよなら~~!」と手を振りたいです。
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尊敬する工藤公康投手

ライオンズのレポーター時代、一番お世話になったのが工藤公康投手
工藤さんが来季ライオンズのユニフォームを着ることが決まって、ホントにホントに嬉しい気持ちでいっぱいです。
沢山お話もさせていただいたけど、最後まで友達みたいな感じではなく、上司のような、大先輩のような、兄貴のような存在でした。

もともと私は定期入れに写真を入れるほど工藤さんの大ファンで、レポーターとして初めて球場に行った時、遠くから工藤さんを見かけてドキドキしていました。

球場に通うようになって何度目かで、練習場所から本球場までの間、なんと二人きりになってしまい、ド緊張の私は何を話していいかわからず…
すると工藤さんが
「お前、文化放送だろ?あのさ~言っといてくんないかなぁ…昨日みたいにいきなり家に電話されると困るんだよ。ちゃんと広報通せって言っといて!!」
なんと、すごい勢いで怒られてしまったのです
ファンだった私は大ショック!
工藤投手=怖い人
というイメージとなりました。

次に、工藤さんと接したのは、初めて一人で2軍の練習を取材に行った時
ちょうど肘を壊されて、ファームで調整中でした。
誰も取材者などいない朝9時前の第二球場で、私は何をしていいかも分からず、うろうろしながら練習を見ていました。

すると、怖い工藤さんが寄ってきて
「何?文化放送?知らねえなー!!」
それは、そこにウロウロ存在しているだけで邪魔!といった感じでした。
どうしていいかわからなかったのですが、とりあえず
「取材です。よろしくお願いします!」と声だけは元気に挨拶しました
多分顔はひきつっていたでしょう…

それからただ練習を見るだけのために、次の日も、その次の日も朝から第二球場を訪れました
まだ何を聞いていいかもわからないので、そうするしかなかったのです。

するとある日工藤さんが
おはよー!お前なかなか根性あんなぁ!誰取材したいの?呼んで来てやるよ!
私は驚きと喜びとで動揺して、その時何と答えたのかよく覚えていないのですが、あの瞬間から怖い工藤さんではなくなりました

工藤さんが受け入れて下されば、当然他のファームの選手たちも揃って受け入れてくれます。
いつでも取材ができるようになり、生放送で電話で出演してもらう…というのも、ファームに関しては直接私からのお願いでOKになりました。

その後、工藤さんが一軍復帰されてからは、コーチや仲間に
「こいつ、こう見えて根性あるんですよ!!頑張ってるんで取材受けてやってください」
と紹介して下さいました

心から頼りにしていたし、尊敬していたし、私はいつも工藤さんの前で、ぴりりと緊張していた気がします。

来年球場で自主トレが始まったら、絶対に見に行こうと思います。
もう私には取材証がありません。
近くにも行かれるはずもないので、ファームの練習を初めて見に行った時と同じように、遠くから黙って見ていましょう…
それだけでも、あの頃の緊張が蘇ってきそうです

工藤さんは頑張ってる者には、めちゃめちゃ優しくて、応援してくれる人
きっと自分が一番頑張っていて、それが当然のことだからなんでしょうね…
47歳となる来季…
ライオンズのユニフォーム姿を見られるだけで嬉しいけれど、是非一つでも多く勝ってもらいたい!
めいいっぱい応援します。
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野村監督とのお食事会

ラジオでプロ野球の仕事をしていたころ、一度だけ当時ヤクルトの監督をされていた野村さんと食事をご一緒させていただいたことがあります。

私はライオンズナイターのレポーターだったので、普段縁のないセ・リーグの監督さん。
番組で良くお世話になっていたスポーツライターの永谷脩さんが「雑誌の取材で野村さんと対談するので一緒に来ないか」と誘ってくださって、私はひょこひょことついて行ったわけです。

今よりもずーーっと景気が良かったあの頃。
ついて行った先は、私では一生足を踏み入れないような料亭でした。
その個室に野村監督と、永谷さんと、雑誌の記者さん2名、そしてなぜかおまけで付いてきた私

簡単にご挨拶だけ済ませると、早速食事をしながらの対談が始まりました。
とはいっても、高級料理を食べているのは3人だけで、記者さんたちの分は運ばれてきません
すんごく高いのかな…」などと気になり始めました。

また対談が始ってからは、余計な口をはさむわけにもいかず、私は時々「はー!」とか「ほぉ!」とか相槌を打つ程度で、あとはニコニコしてお話を聞きながら高級料理を食べるだけ!
私、不要だよな…、記者さんたちもそう思ってるだろうなぁ…」と自分の居場所に困り、できるだけ体を小さくしていました。

だから相槌は打っていたものの、話の内容はドキドキしてあまり覚えていないんです。
それでも長嶋さんとの関係、長嶋さんへの思い、また古田捕手がどうやって成長したのか…等の話はとても興味深く、思わず質問を投げかけそうになりました。
が、邪魔しちゃいけないので、記者さんをチラチラのぞき見ながらぐっと我慢…。
その他、ここには書けないような沙知代夫人とのお話も大変面白く話してくださいました。

一応対談が終わってから、ほんの少しだけ雑談タイムがありました。
野村監督から私に「君はいつから野球に興味があるの?」「どこのチームが好きだったの?」など、なんとなく気を遣ってくださった感じの質問
短かったけれど、とても楽しい時間で、普段テレビで見るようなボヤキのイメージはなく、優しく穏やかでユーモアのある方でした。

しかし記者さんたちはお料理もないので早く帰りたそうです。
お邪魔虫で、懐石料理だけは一人前に良く食べる小娘に「なんで来たんだよ!」的な視線を投げかけているように思えて仕方なく、本当に申し訳なく感じたのですが、そこからが野村監督の一番の優しさ

「それにしても君(永谷さん)は、よくわかってるな~!
この子(私)がいるといないじゃ、私の機嫌がどれだけ変わるかってこと、よくわかってるもんなぁ…」
そして記者さんたちに
いい話取れただろ?この子がいてくれたおかげで、気分良く喋れた!

私は、野村監督のその一言で、本当に本当に本当に救われたのです。
その時、監督は私のいたたまれない気持ちも、記者さんたちの気持ちも、絶対にぜーんぶわかった上でおっしゃったのです。
私は、大きくて、かつ繊細で、優しい監督が大好きになりました!!

弱小球団を優勝争いに加われるようなチームに育てる…
「監督と共にがんばろう…」
選手たちが、そんな風に思える方
なのでしょう。
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会いたい!小山正明さん

1960年代に阪神で大活躍した名投手・小山正明さん
とはいえ、私はその輝かしい現役時代は数字と白黒の映像でしか知らない…

私が知っているのは、西武ライオンズでピッチングコーチをしていた小山さん。

現在74歳…ということを最近になって知った。
父よりたった一つ年上なだけだったんだ…
失礼な話だけど、ライオンズ当時、もうけっこうなおじいちゃまなのかと思っていた


私は文化放送でライオンズナイターのレポーターをしていた時、おもにファームの人たちを取材していて、朝早くに球場入り。
練習を見て、試合を見て…
2時半くらいになると、1軍の選手がやってくるので、本球場へと移動する。
ずっと外に出ているだけで疲れたり、思うように話が聞けなかったりで、ぐったりしていることもあった。

でも、小山さんはいつも私の姿を見つけると
「みかちゃーん!」
と、優しそうな笑顔で遠くから手を振ってくれた

「小山さーん!こんにちはー!」
私は、いつもいつもその笑顔で元気になって、ナイター終了までがんばろー!と気合が入る

未だに大事にしている その頃の取材ノート。
不思議なのは、あんなにいっぱいお話した小山さんの取材メモがないこと。
そっか…小山さんとは、野球のこととかあんまり話した記憶ないもんなぁ
選手や監督・コーチと話す時って、だいたい「何か本番で話せることはあるかな…」とアンテナをはってたけど、小山さんにはそんな風に接していなかった。
なんか1塁側のベンチの中で隣に座ってると、それだけでホッとするような…


小山さんは2年という契約でライオンズにいらしていたことを私は知らなくて、シーズンオフにスポーツ部に届いた共同通信のファックスで「小山コーチ退団」ということを知った。

生放送の本番前だったのに、もう涙が溢れてきてしまった。
来シーズン、西武球場に行っても、もう小山さんが手を振ってくれることはない…
勝手に自分のおじいちゃんのように思っていた私は、本当に心からショックだった。

小山さんとは、それきり会っていない…
今でも小山さんに会いたいなぁ…って思うけど、たった2シーズンお世話になっただけの一介のレポーターの私なんて、きっと覚えていてはくれないだろうな…
手紙を書いても、思い出してはくれないだろうな…って、そう思ってしまい、何もできない。

でも、やっぱり大好きな小山さんにもう一度会いたい…
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Mika

文化放送「ライオンズナイター」、テレビ埼玉「レッズ直前情報」、日本テレビ「ニュースプラスワン」、CM「パイロット Drグリップ」等に出演。 現在は川越ケーブルテレビ「まちかど情報局」で、落語家 古今亭志ん八さんと司会を担当。

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